よく、美術のみかたがわからない。ときかれます。
基本的には、こう見なければならない。というのはないと思います。
美術館や展覧会では、見てほしい順路が設定されているところもありますし、あえて順路を設定しないで、壁などを構成して自然に鑑賞者を歩かせたい方向に誘導するようにセッティングしているところもあります。
好きな順番でみてもよいですよ。というところもあります。
私は、青森県八戸市というところに育ち、もと税務署の建物を使った小さな美術館しかなかったので、美術という美術には触れずに育ってきました。
ですから、都会に住んでいる方に比べたら、子どものころからの美術の鑑賞体験はうすいかもしれません。
しかし、ふりかえってみると、祖母が書道を習っていたり、父親がデザインの仕事をしていたり、母方の曾祖父が日本画家だったりと、文化の本物に知らず知らずのうちに触れていたので、目や感覚は、やしなわれたのかもしれません。
高校を卒業し、生まれ故郷の八戸から同じ青森県内の弘前大学へ入学し、美術家という職業の人に初めて会いました。
そのときに、
「どうしたら本物をみぬく力を養うことができますか?」と質問したところ、
「たくさん失敗すること。」
と言われ、度肝をぬかれました。
私は、失敗するための一歩すら踏み出していないということに気づかされたのです。
むしろ、失敗するのがだめなこと、失敗しないように。と石橋たたいてきたように思います。
そのときから、こわいけど、一歩前に出てみるということをするようになりました。
とりあえず、いろんなものをみてみるところから始めようと思ったのです。
その後、上京しましたが、同世代の美術関係の友人たちに、あまりにも美術のリアルな知識がなさすぎて、だいぶバカにされました。
青森では現在活躍しているアーティストに出会う機会がなかったので、私の美術の知識は60年代~70年代の美術史で現代美術がとまっているようなものでした。
機会があり、美術館の展示をする会社でアルバイトをすることになり、年中都心の美術館やギャラリー、時にはデパートの催事場などを周り、常にあちこちの美術館や作品にふれることになりました。
そこで、展覧会はどうつくられるのか、学びました。
アルバイトで裏方だけど、いつかはそっちに行くぞ。という目線で、学芸員さんやアーティストの方々の展示に立ち合いながらも、自分だったらどう展示するかな。。と、学芸員さんとアーティストさんが考えているそばでシュミレーションし、自分と感覚があったら「ピンポーン」という感じで、自分の感覚が間違っていないかを確かめていきました。
そのうち、美術館は鑑賞する場所ではなく、仕事場になったことで、少し足が遠のいていました。
しかし、コロナ禍で美術館に行けなくなった時期があり、改めて美術館に行けたときに、やっぱり美術館はいいな!と思いました。
本物に出会い、絵筆の流れをみてその制作者の息を時代を経て感じることができる。
それが美術鑑賞の醍醐味だな~。と思いました。
ですから、私の美術のみかたは少々専門的な部分もあり、参考にならないかもしれませんが、基本的には青森でみたいものも見れなかった女子がいちいち「すげー!本物だー!」という目線でみているという面では、美術を知っている知らない関係なく、美術館を楽しんでいるかもしれません。
私は最近、美術ファンの方々とのおしゃべり会を主催しています。
普段、会社勤めをしながら美術をみることが趣味の方々とのおしゃべり会です。
↓こちらのスペースでほぼ毎月行っています。
こんな楽しみ方があったのか!!と発見があります。
そこでのお話や、私の鑑賞日記をこのブロで書いていきたいと思いますので、少しでも美術をみる楽しさのヒントが伝わればと思います。
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